冷笑系の危うさ

久々に面白い動画に出会いました。何がどう面白かったのかは是非上記のURLから直接見ていただきたいのですが、いわゆる日本人とは何か?日本の精神とは何か?ということを考えた時、その根拠となる愛国心だったり伝統だったりというものが非常に脆く、アメリカのようなマッチョイズムに起因するもの(古来から続くものではない)なんじゃないかということを説明している動画です。

中でも特に現代の特徴を表しているなぁと思ったのは5:19あたりの部分で、日本が失われた30年によって抱えている閉塞感に対して取れるおよそ3つの行動のうち、シニカルになることを先崎さんは「冷笑的」と表現していますが、私も非常にこの冷笑的、あるいは冷笑系といわれる人々の態度は危険なものであると考えています。というのも冷笑系というのは常に自分は傷つかない立場にいる、あるいは傷ついてきたというある種の被害者意識めいたものがある人が陥りやすい態度だからです。そうなると、何か頑張ってる人に対して「あぁ、まぁ頑張ってる感じだけどまだまだだよね。多分失敗するよね、俺は知らないけど」という傍観者の立場を気取りながら、同時にどこかせせら笑っており、あまつさえ失敗することをどこかで望む立場になってしまいがちなのです。

まさに今年行われた参議院選において、安野貴博さん率いるチームみらいに対して「まだ未熟さが目立つ」とか「技術で全て解決しようとしている全体感のなさ」、「いいところのお坊ちゃん集団」と揶揄する意見が散々Xで流れてきて、一部同意する部分はあれど、その批判をしているのがいわゆるシニアエンジニア層(30代後半〜40代、下手すると50代も含まれる)だというのが薄々ポストの詳細からわかってきた時、非常にグロテスクなものを感じました。それはどういうことかと言えば、今までデジタル庁を除き(しかも正確に言えば省庁なので党ではない)コンピューターやテクノロジーで世の中を改善することを掲げた若い政党はなく、一方で比較的シニア層に近い40-50代がそうした主義を国政に持ち込むという新しい試みをする集団を皮肉めいた態度で評価するくせに、絶対に自分はその立場には立とうとしない悲しい現状を悟ったからです。

よく、批判するだけは楽だという論調を目にしますがまさにその通りで、ネットの海から批判だけをして有識者を気取っていると決して負けることはありません。言い換えると、自分は表に出るわけじゃないので批判されることもないし、好きなことだけ言って無敵の立場でいられるわけです。
ところが、ひとたび誰かの目の前に出ると激しい批判にさらされる可能性もありますし、稚拙さや未熟さが目立つこともあります。それは仕方のないことで、安野さんも政治家として当選したのは実際今回が初だったので、政策作りにしても現場の感覚にしてもまだまだ伸びしろがある状態です。ですから、そのような未熟さなどはこれから経験を重ねて、より現実的で精度の高いものになっていくと思います。

ところが、何もしていない段階から完璧を求め、それができていないとひたすら批判して冷笑的となり、「だから言ったじゃないか」という論調ではじめから失敗することを待っていたかのような集団が増えていくと、チャレンジする人はますます出てこなくなるでしょう。冒頭に触れた、『失われた30年』の結果とも言えるかもしれないですし、社会や政府によって裏切られてきた世代や希望を見出せなかった世代の閉塞感による産物なのかもしれません。
しかし、この冷笑的な態度が通常運転となると人前に立つこともできなくなるでしょうし、仮に立ったとしても今度は自分が批判の的となるため、まともにコミュニケーションをとることができなくなります(だって自分は批判されないと思ってるんだから、そういう意見は受け入れられないし)

最近でもないですが、すっかり当たり前の題材となってきた「異世界転生もの」において、以前は活躍できなかった自分が別世界の何も知らない人たちの前に来たら、ヒーローのようになんでも出来てしまうというストーリーは、こうした冷笑的な態度をする人がいない世界を心の奥底で求めている、というある種の心の叫びなのかもしれません。幼少期であればどんなに拙くとも褒めてもらえますし、チャレンジすることもできますが、成長するにつれてチャレンジすることへの恥ずかしさや抵抗感、失敗したときの予防線として「やらないだけで、本気を出せばできるし」という態度に変わっていくのかもしれません。これがネットの影からひたすらシニカルな態度で批判し続けている理由なのだとしたら、それはなんとも悲しいことじゃないですか、と。肥大化し続けた自尊心と哀れな現実の姿を描いた山月記は、現代にも多分に通ずるものがあります。

日本は失敗に不寛容だと言われますが、その理由はチャレンジできない社会にあるのではなく、誰も挑戦をしないで楽に過ごしたがる「安定感」への強い執着、そしてある種の怠惰な日常を維持したい無気力感から醸成された空気なのかもしれません。これを変えるのは恐らく相当難しいと思いますし、変わった結果が今回の参議院選の参政党の躍進なのだとしたらそれも困るわけですが、ただ少しずつ「変えていかなければ安定すら維持できない」という使命感に駆られ、自発的に動いていく社会になるのではなっているのではないかとも感じています。今回の参議院選を引き金に、いいか悪いかは別として、自分たちでも世の中を変えることができるというダイナミズムのようなものを感じられたら、こうした冷笑的な日本人は減っていくのではないでしょうか。

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